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第 6 章 2 状態系の時間発展 — アンモニアメーザーと量子振動

前回までのあらすじ:

第 4 章では Feynman の 3 つの法則——「振幅の絶対値の 2 乗が確率」「経路ごとの振幅を足す」「連続する過程の振幅を掛ける」——を学んだ。第 5 章では Stern-Gerlach (シュテルン-ゲルラッハ) 実験を通じて、スピン 1/2 粒子の状態が 2 つの基底状態の重ね合わせで書けること、そしてその係数(確率振幅)が複素数のベクトル成分のように振る舞うことを見た。状態空間の「骨格」は揃った——だが、まだ 時間 が入っていない。

この章のゴール

  • 2 状態系の確率振幅が時間とともにどう変わるかを記述する微分方程式を立て、Hamiltonian (ハミルトニアン) 行列の固有値・固有ベクトルを求めることで定常状態量子振動 (Rabi 振動) を導く
  • 具体例としてアンモニア分子 NH₃ の反転運動とアンモニアメーザーの動作原理を扱い、「なぜ Hamiltonian が量子力学の中心にあるのか」を体感する

6.1 時間発展の基本方程式 — 振幅はどんな規則で時間変化するか?

🟡 リナ: 前の章までで、2 状態系の状態を

\[|\psi\rangle = C_1\,|1\rangle + C_2\,|2\rangle \tag{6.1}\]

と書けることを学んだわね。\(C_1 = \langle 1|\psi\rangle\)\(C_2 = \langle 2|\psi\rangle\) は複素数の確率振幅で、\(|C_1|^2 + |C_2|^2 = 1\) を満たす。

🔵 カイ: はい。でも、これって「ある瞬間のスナップショット」ですよね? 時間が経つと \(C_1\)\(C_2\) はどう変わるんですか?

🟡 リナ: いい質問。まさにそれがこの章のテーマよ。古典力学では Newton (ニュートン) の運動方程式 \(F = ma\) が物体の位置の時間変化を決めた。量子力学にも、振幅の時間変化を決める方程式がある。

🔵 カイ: 量子力学版の「運動方程式」ってことですか。

🟡 リナ: そう。ここでは天下りで——つまり「実験事実と整合する基本仮説」として——受け取ってもらうわ。ただし、この形には理由がある。要請は 3 つよ。

第一に、方程式は線形であること。重ね合わせの原理を保つためね。

第二に、確率が保存されること。\(|C_1|^2 + |C_2|^2 = 1\) が常に成り立たなければならない。

第三に、方程式は 1 階であること。

🔵 カイ: なぜ 1 階なんですか? Newton の運動方程式は 2 階でしたよね。

🟡 リナ: いい比較ね。Newton の方程式が 2 階だから、初期条件として位置速度の両方を指定する必要があった。でも量子力学では、状態ベクトル \(|\psi\rangle\)——つまり振幅 \(C_1(t), C_2(t)\) の組——が系のすべての情報を含んでいるの。今のアンモニア分子で言えば、\(C_1(t)\)\(C_2(t)\) の 2 つの複素数を知れば、「窒素が上にいる確率」も「下にいる確率」も、さらに将来どう変化するかも——すべてが決まる。

🔵 カイ: うーん、「すべての情報を含む」から「1 階で十分」というのが、まだピンと来ないんですけど……。

🟡 リナ: こう考えてみて。古典力学では、ボールの位置 \(x\) だけ知っていても将来の運動は分からないわよね——速度 \(v\) も知らないと、止まっているのか動いているのか区別がつかない。だから Newton の方程式は 2 階で、初期条件に \(x\)\(v\) の両方が必要だった。

でも量子力学では、振幅の組 \(C_1, C_2\) が系の完全な記述——つまり「位置」と「速度」に相当する情報が全部この中に入っている。もし方程式が 2 階だったら、\(C_1(0)\), \(C_2(0)\)加えて \(dC_1/dt|_0\), \(dC_2/dt|_0\) も指定しなければ解が一意に決まらない。それは「振幅だけでは情報が足りない」ということになり、「振幅が完全な記述である」という仮説と矛盾してしまう。だから方程式は 1 階でなければならないの。

つまり「振幅が系の完全な記述である」という仮説を受け入れれば、方程式が 1 階であることは論理的に帰結するの。そしてこの仮説自体は、実験事実と整合する基本原理として受け入れてほしい。

🔵 カイ: 「振幅だけで完全」というのは、今は天下りで受け入れるしかないんですね。

🟡 リナ: そう。この仮説が正しいかどうかは、そこから導かれる予測が実験と合うかどうかで判断される——まさにこの章でアンモニア分子の振動数を予測して実験と比べるのがその検証よ。さて、この 3 つの要請を満たす最も一般的な線形微分方程式が、次の形になるわ:

\[i\hbar\frac{dC_1}{dt} = H_{11}\,C_1 + H_{12}\,C_2 \tag{6.2a}\]
\[i\hbar\frac{dC_2}{dt} = H_{21}\,C_1 + H_{22}\,C_2 \tag{6.2b}\]

なぜ右辺に定数項(\(C_1\)\(C_2\) に比例しない項)がないかというと、もし定数項があれば \(C_1 = C_2 = 0\)(何もない状態)でも振幅が勝手に生まれてしまう——これは「何もないところから確率が湧く」ことを意味し、物理的に不合理だからよ。

🔵 カイ: うわ、いきなり微分方程式……。\(\hbar\) は前に出てきた換算 Planck 定数ですよね。左辺の \(i\) は虚数単位。でも右辺の \(H_{11}\) とか \(H_{12}\) って何ですか? 添字の数字は何を意味しているんですか?

🟡 リナ: それが Hamiltonian 行列 (ハミルトニアン行列) の成分よ。添字の意味は、\(H_{ij}\) の 1 番目の添字 \(i\) が「行」(つまり左辺のどの振幅の式か)、2 番目の添字 \(j\) が「列」(つまり右辺のどの振幅に掛かるか)を表しているの。例えば \(H_{12}\) は「\(C_1\) の式(1 行目)に現れる \(C_2\) の係数(2 列目)」。エネルギーの次元を持つ量で、一般には複素数よ。次のセクションで物理的意味を詳しく説明するけれど、今は「エネルギーに関する定数」とだけ思っておいて。まず式の「形」を味わってほしいの。

⚪ メイ: 左辺は「\(C_1\) の時間変化率」に \(i\hbar\) を掛けたもの。右辺は \(C_1\)\(C_2\) の線形結合。つまり、一方の振幅の変化が、両方の振幅の値に依存するということね。

🟡 リナ: その通り。\(C_1\)\(C_2\) が「お互いに影響し合いながら」時間変化する——これが量子力学の 2 状態系の運動方程式なの。

🔵 カイ: 式 (6.2a) と (6.2b) を行列で書いたらどうなりますか?

🟡 リナ: いいセンスね。こう書ける:

\[i\hbar\frac{d}{dt}\begin{pmatrix} C_1 \\ C_2 \end{pmatrix} = \begin{pmatrix} H_{11} & H_{12} \\ H_{21} & H_{22} \end{pmatrix}\begin{pmatrix} C_1 \\ C_2 \end{pmatrix} \tag{6.3}\]

右辺の \(2 \times 2\) 行列が Hamiltonian 行列 \(H\) よ。

✅ 理解度チェック: 式 (6.3) の左辺に掛かっている \(i\hbar\) は定数。もし \(H_{12} = H_{21} = 0\) だったら、\(C_1\)\(C_2\) はどうなるでしょうか?(ヒント:連立方程式が「分離」する。)

答え

\(H_{12} = H_{21} = 0\) なら、式 (6.2a) は \(i\hbar\,dC_1/dt = H_{11}\,C_1\) となり、\(C_2\) に依存しない。同様に式 (6.2b) は \(i\hbar\,dC_2/dt = H_{22}\,C_2\)。つまり \(C_1\)\(C_2\) がそれぞれ独立に時間変化する。非対角成分 \(H_{12}\), \(H_{21}\) が「2 つの状態を結びつける」役割を果たしていることがわかる。


6.2 Hamiltonian 行列の導入 — エネルギーを表す行列

🔵 カイ: Hamiltonian 行列って、結局何を表しているんですか?

🟡 リナ: 一言で言えば、系のエネルギーに関する情報をすべて詰め込んだ行列よ。名前の由来は、古典力学で系の全エネルギー(運動エネルギー+ポテンシャルエネルギー)を表す関数を Hamiltonian と呼んだ Hamilton (ハミルトン) にちなんでいるの。

🔵 カイ: 古典力学の全エネルギーの「量子版」ということですか。

🟡 リナ: そう思って大丈夫。ただし量子力学では、エネルギーが「一つの数」ではなく「行列」になる。なぜかというと、状態が 2 つあるから、「状態 \(|1\rangle\) のエネルギー」「状態 \(|2\rangle\) のエネルギー」だけでなく、「状態 \(|1\rangle\)\(|2\rangle\) の間の結合」も記述しなければならないからよ。

⚪ メイ: なるほど、1 つの数では足りなくて、状態の数だけ「枠」が必要になるから行列になるのね。

🟡 リナ: そう。各成分の意味を整理すると:

表 6.1: Hamiltonian 行列の各成分の物理的意味

成分 意味
\(H_{11}\) 状態 \(\|1\rangle\) にいるときの「自分自身のエネルギー」
\(H_{22}\) 状態 \(\|2\rangle\) にいるときの「自分自身のエネルギー」
\(H_{12}\) 状態 \(\|2\rangle\) から状態 \(\|1\rangle\) への「遷移振幅の強さ」(添字の 1 番目が「行き先」、2 番目が「出発」)
\(H_{21}\) 状態 \(\|1\rangle\) から状態 \(\|2\rangle\) への「遷移振幅の強さ」(同様に 2 が行き先、1 が出発)

🔵 カイ: 対角成分がエネルギー、非対角成分が状態間の「つながり」ですか。

🟡 リナ: そう。そして Hamiltonian 行列には一つ重要な性質がある。エルミート性 (Hermitian property) よ:

\[H_{ij}^* = H_{ji} \tag{6.4}\]

これは「各成分の複素共役を取ってから、行と列を入れ替えた行列が、元の行列と等しい」ということ。具体的に言えば、\(H_{12}\) の複素共役が \(H_{21}\) に等しい。対角成分 \(H_{11}\), \(H_{22}\) については \(H_{11}^* = H_{11}\), \(H_{22}^* = H_{22}\) だから、対角成分は実数になるの。

🔵 カイ: なぜエルミートでなければならないんですか?

🟡 リナ: 確率の保存が理由よ。\(|C_1|^2 + |C_2|^2 = 1\)常に成り立つためには、Hamiltonian 行列がエルミートでなければならないの。少しだけ見てみましょう。\(d(|C_1|^2 + |C_2|^2)/dt = 0\) を要求して、式 (6.2) を使って左辺を計算すると、\(H_{12} = H_{21}^*\) という条件が出てくる——これがまさにエルミート性よ。

🔵 カイ: 複素共役を取るところがちょっと気になるんですけど……。

🟡 リナ: 計算のヒントだけ言うと、\(|C_1|^2 = C_1^* C_1\) だから、微分するときは積の微分法則で \(d|C_1|^2/dt = (dC_1^*/dt)C_1 + C_1^*(dC_1/dt)\) と展開するの。\(dC_1/dt\) は式 (6.2a) から \(dC_1/dt = (H_{11}C_1 + H_{12}C_2)/(i\hbar)\) と得られる。\(dC_1^*/dt\) は式 (6.2a) の両辺の複素共役を取って求めるの——複素共役を取ると \(i\)\(-i\) に変わるから、左辺は \(-i\hbar\,dC_1^*/dt\) になり、右辺は \(H_{11}^*\,C_1^* + H_{12}^*\,C_2^*\) になることに注意してね。これらを代入して整理すると、\(H_{12} = H_{21}^*\) が出てくるわ。詳しい計算は練習問題(問題 B-1. 定常状態の位相因子の計算)で確認してみて。

📝 練習問題:

  • \(d(|C_1|^2 + |C_2|^2)/dt = 0\) と式 (6.2) からエルミート性 \(H_{12} = H_{21}^*\) を導け。 → 問題 B-1. 定常状態の位相因子の計算直感的には「エネルギーは実数であるべき」ということと対応しているわ。

⚪ メイ: つまり「エネルギーが実数であるべき」という物理的要請が、行列の数学的性質(エルミート性)として表現されているのね。

🟡 リナ: よく気づいたわね。固有値の話はすぐ後で出てくるわよ。

なぜ \(i\hbar\) が左辺にあるのか

🔵 カイ: 一つ気になったんですけど、式 (6.2) の左辺の \(i\hbar\) って何のためにあるんですか? 単に \(dC_1/dt = (\text{何か}) \times C_1 + \cdots\) じゃダメなんですか?

🟡 リナ: いい疑問ね。もし \(i\) がなかったら、つまり

\[\hbar\frac{dC_1}{dt} = H_{11}\,C_1 + H_{12}\,C_2\]

だったとすると、\(H_{11}\) が実数のとき \(C_1\) は実数のまま指数関数的に増大または減衰してしまう。これでは確率が保存されない。\(i\) があることで、解が振動的(位相が回転する)になり、\(|C_1|^2\) が一定に保たれるの。

🔵 カイ: なるほど。\(i\) は「増減」ではなく「回転」を生む役割なんですね。

🟡 リナ: そう。そして \(\hbar\) は単位を合わせるためのもの。\(C\) は確率振幅で無次元だから、\(dC/dt\) の次元は \([\text{時間}]^{-1}\)\(\hbar\) の次元は \([\text{エネルギー} \times \text{時間}]\) だから、左辺 \(i\hbar\,dC/dt\) の次元は \([\text{エネルギー} \times \text{時間}] \times [\text{時間}]^{-1} = [\text{エネルギー}]\)。右辺の \(H_{ij} C_j\)\(H_{ij}\) がエネルギーの次元を持つから、辻褄が合うのよ。

🔵 カイ: なるほど。じゃあ整理すると、\(i\) は「確率を保存するため(振動を生むため)」、\(\hbar\) は「次元を合わせるため」、そして右辺が \(C_1\)\(C_2\) の線形結合なのは「重ね合わせの原理を保つため」——3 つの要請がそれぞれ式の各パーツに対応しているんですね。

🟡 リナ: その通り。よくまとめたわね。

✅ 理解度チェック: Hamiltonian 行列のエルミート性 \(H_{ij}^* = H_{ji}\) は、どんな物理的要請から来るでしょうか?

答え

全確率の保存 \(|C_1|^2 + |C_2|^2 = 1\) が時間的に変化しないという要請から来る。エルミート性により、Hamiltonian の固有値(エネルギー)が実数であることも保証される。


6.3 アンモニア分子の 2 状態モデル

🟡 リナ: さて、ここからは具体例に入るわ。アンモニア分子 NH₃ よ。

🔵 カイ: アンモニアって、あのツンとした匂いの……?

🟡 リナ: そう。1 個の窒素原子 (N) と 3 個の水素原子 (H) からなる分子で、ピラミッド型をしている。3 個の水素原子が三角形の平面を作り、窒素原子がその平面から少し飛び出した位置にあるの(図 6.1「アンモニア分子の構造」)。

アンモニア分子の構造

図 6.1: アンモニア分子の構造。アンモニア分子 NH₃ の構造。窒素原子 (N) は 3 個の水素原子 (H) が作る平面の上または下に位置する。

🔵 カイ: ピラミッド型……てことは、窒素が「上」にあるか「下」にあるかで、2 つの形があるんですね!

🟡 リナ: その通り。ここで大胆な近似をする。分子の回転や振動、並進運動はすべて固定されているとして、残っている自由度は窒素原子が水素原子の平面のどちら側にあるかだけ。これで 2 状態系になるの。

  • 状態 \(|1\rangle\): 窒素が平面の「上」にある配置
  • 状態 \(|2\rangle\): 窒素が平面の「下」にある配置

⚪ メイ: 実際の分子にはもっとたくさんの自由度があるけれど、それらを「凍結」させて、窒素の上下だけに注目する近似ね。

🟡 リナ: そう。この近似は、他の自由度のエネルギースケールが窒素の反転運動のエネルギースケールよりずっと大きいときに正当化される。実際、電子の励起エネルギーは数 eV、分子振動は 0.1 eV 程度なのに対し、窒素の反転運動に関わるエネルギーは \(10^{-4}\) eV 程度——桁違いに小さいの。

Hamiltonian の決定

🟡 リナ: では、この 2 状態系の Hamiltonian 行列を決めましょう。手がかりは対称性よ。

🔵 カイ: 対称性?

🟡 リナ: 図 6.1「アンモニア分子の構造」 をもう一度見て。アンモニア分子を上下ひっくり返す操作を考えて。窒素が「上」の配置は窒素が「下」の配置にそっくり入れ替わる。つまり、状態 \(|1\rangle\)\(|2\rangle\) は物理的に完全に等価なの。

⚪ メイ: ということは、\(H_{11} = H_{22}\) ね。どちらの配置も「自分自身のエネルギー」は同じ。

🟡 リナ: そう。この共通の値を \(E_0\) と書くわ:

\[H_{11} = H_{22} = E_0 \tag{6.5}\]

✅ 理解度チェック: アンモニア分子の Hamiltonian で \(H_{11} = H_{22}\) となるのは、どのような物理的理由からでしょうか?

答え

アンモニア分子を上下反転させると、窒素が「上」の配置と「下」の配置が入れ替わる。この操作に対して分子は物理的に等価であるため、2 つの配置の「自分自身のエネルギー」は同じ値 \(E_0\) でなければならない。

次に非対角成分。窒素原子が水素原子の平面を「貫通」して反対側に移る——これは古典力学では、エネルギーが足りなければ不可能よね。でも量子力学では、量子トンネル効果 (quantum tunneling) が起きる。古典力学ではエネルギーが障壁の高さより低ければ絶対に通過できないけれど、量子力学では障壁の向こう側に「すり抜ける」確率振幅がゼロではないの。

🔵 カイ: トンネル効果! 第 3 章の二重スリットでも「古典的にはありえない経路」の話がありましたね。

🟡 リナ: いい関連づけね。この「すり抜ける」振幅を \(-A\) と書くことにする(\(A > 0\))。マイナスをつけるのは慣習的なもので、後で計算が見やすくなるの。対称性から \(H_{12} = H_{21}\) だから:

\[H_{12} = H_{21} = -A \tag{6.6}\]

⚪ メイ: エルミート性 \(H_{12}^* = H_{21}\) も満たされているわ。\(A\) が実数なら \((-A)^* = -A = H_{21}\) だから。

🟡 リナ: まとめると、アンモニア分子の Hamiltonian 行列は:

\[H = \begin{pmatrix} E_0 & -A \\ -A & E_0 \end{pmatrix} \tag{6.7}\]

🔵 カイ: シンプルですね。でも \(A\) の値はどうやって決まるんですか?

🟡 リナ: \(A\) は窒素原子がポテンシャル障壁を量子トンネルする確率振幅に関係していて、障壁の高さと幅から原理的には計算できるけれど、実際には実験で測定される値を使うの。アンモニア分子の場合、\(2A\) に対応する振動数が約 24,000 MHz(波長にして約 1.25 cm のマイクロ波)であることが知られているわ。

🔵 カイ: マイクロ波の領域なんですね。

📝 練習問題:


6.4 固有値と固有ベクトル — 定常状態を見つける

🟡 リナ: Hamiltonian 行列 (6.7) が決まったから、いよいよ式 (6.2) を解くわよ。まず定常状態——時間が経っても「状態の性格」が変わらない特別な状態——を探す。

🔵 カイ: 「状態の性格が変わらない」ってどういう意味ですか?

🟡 リナ: 振幅 \(C_1\)\(C_2\) \(C_1 : C_2\) が時間的に一定であるような状態のこと。式 (6.2) は「微分したものが元の関数に比例する」という形をしているから、解として指数関数を試すのが自然よ——高校で習った \(dy/dx = ky\) の解が \(e^{kx}\) だったのと同じ発想。具体的には:

\[C_1(t) = a_1\,e^{-iEt/\hbar}, \quad C_2(t) = a_2\,e^{-iEt/\hbar} \tag{6.8}\]

ここで \(a_1\), \(a_2\) は時間に依存しない定数、\(E\) は定数(エネルギーの次元を持つ)。

⚪ メイ: 両方の振幅が同じ振動数 \(E/\hbar\) で振動するから、比 \(C_1/C_2 = a_1/a_2\) は時間に依存しないわね。

🟡 リナ: そう。式 (6.8) を式 (6.2) に代入してみましょう。左辺は:

\[i\hbar\frac{dC_1}{dt} = i\hbar \cdot a_1 \cdot \left(-\frac{iE}{\hbar}\right)e^{-iEt/\hbar} = E\,a_1\,e^{-iEt/\hbar}\]

右辺は:

\[H_{11}\,C_1 + H_{12}\,C_2 = (E_0\,a_1 - A\,a_2)\,e^{-iEt/\hbar}\]

両辺から \(e^{-iEt/\hbar}\) を割ると:

\[E\,a_1 = E_0\,a_1 - A\,a_2 \tag{6.9a}\]

同様に式 (6.2b) からは:

\[E\,a_2 = -A\,a_1 + E_0\,a_2 \tag{6.9b}\]

🔵 カイ: あ、微分方程式が消えて、ただの連立方程式になった!

🟡 リナ: そう。これを行列で書くと:

\[\begin{pmatrix} E_0 & -A \\ -A & E_0 \end{pmatrix}\begin{pmatrix} a_1 \\ a_2 \end{pmatrix} = E\begin{pmatrix} a_1 \\ a_2 \end{pmatrix} \tag{6.10}\]

🟡 リナ: これは線形代数で固有値問題 (eigenvalue problem) と呼ばれる形よ。行列 \(H\) にベクトル \(\begin{pmatrix} a_1 \\ a_2 \end{pmatrix}\) を掛けたら、元のベクトルのスカラー倍 \(E\) 倍になる——そういう特別なベクトルと \(E\) を探す問題。\(E\)固有値 (eigenvalue)、\(\begin{pmatrix} a_1 \\ a_2 \end{pmatrix}\)固有ベクトル (eigenvector) と呼ぶの。「固有」(eigen) はドイツ語で「その物に特有の」という意味——つまり「その行列だけが持つ特別な値とベクトル」ということね。

🔵 カイ: なぜ「スカラー倍になる」ベクトルが特別なんですか? 普通の連立方程式とどう違うんですか?

🟡 リナ: 2 つの視点から答えるわ。まず、普通の連立方程式との違い。高校で解いた連立方程式は「\(2x + 3y = 5\), \(x - y = 1\)」のように、右辺が決まった定数で、未知数 \(x, y\) の値を一組求める問題だったわよね。でも固有値問題は「右辺が未知数自身のスカラー倍」——つまりスカラー \(E\) 自体も未知で、\(E\) とベクトルを同時に探す問題なの。しかも解は一般に複数組ある——今の場合は 2 組ね。

🔵 カイ: なるほど、\(E\) も未知数の一部……。じゃあ解くべき未知数が普通より多いんですね。

🟡 リナ: 次に幾何学的なイメージ。一般に、行列をベクトルに掛けると、ベクトルの方向も長さも変わる。でも固有ベクトルだけは特別で、行列を掛けても方向が変わらない——長さ(スカラー倍)だけが変わるの。例えば \(\begin{pmatrix} 2 & 1 \\ 0 & 3 \end{pmatrix}\begin{pmatrix} 1 \\ 0 \end{pmatrix} = \begin{pmatrix} 2 \\ 0 \end{pmatrix} = 2\begin{pmatrix} 1 \\ 0 \end{pmatrix}\)——ベクトル \(\begin{pmatrix} 1 \\ 0 \end{pmatrix}\) は行列を掛けても方向が変わらず、2 倍になるだけ。つまり「行列の作用に対して安定な方向」を見つけることが固有値問題なのよ。

⚪ メイ: 「行列の作用で方向が変わらない=時間が経っても性格が変わらない」——数学と物理がきれいに対応しているのね。

🟡 リナ: そして物理的な意味。思い出して。私たちは「振幅の比 \(C_1 : C_2\) が時間的に一定」な状態を探していたわよね。式 (6.8) で \(e^{-iEt/\hbar}\) という共通因子を仮定したのは、まさにそのため。固有値問題の解が見つかれば、それが定常状態——つまりエネルギーが確定した状態——に対応するの。固有値 \(E\) が、その定常状態のエネルギーよ。

固有値の計算

🟡 リナ: 式 (6.10) を書き直してみましょう。まず記号を一つ導入するわ。\(\mathbb{1} = \begin{pmatrix} 1 & 0 \\ 0 & 1 \end{pmatrix}\)単位行列 (identity matrix) と呼ぶの。対角成分が 1 で、それ以外が 0 の行列よ。試しにベクトルに掛けてみると \(\begin{pmatrix} 1 & 0 \\ 0 & 1 \end{pmatrix}\begin{pmatrix} a_1 \\ a_2 \end{pmatrix} = \begin{pmatrix} a_1 \\ a_2 \end{pmatrix}\)——元のベクトルがそのまま返ってくるわね。つまり単位行列は行列の世界の「1」——数の世界で \(1 \times x = x\) であるように、\(\mathbb{1} \times \mathbf{a} = \mathbf{a}\) なの。

🔵 カイ: 行列版の「何もしない操作」ですね。

🟡 リナ: そう。\(\mathbf{a} = \begin{pmatrix} a_1 \\ a_2 \end{pmatrix}\) とまとめると、右辺の \(E\mathbf{a}\)\(E\mathbb{1}\mathbf{a}\) と同じこと。なぜかというと、\(E\mathbb{1} = \begin{pmatrix} E & 0 \\ 0 & E \end{pmatrix}\) だから、これをベクトルに掛けると \(\begin{pmatrix} E\,a_1 \\ E\,a_2 \end{pmatrix} = E\begin{pmatrix} a_1 \\ a_2 \end{pmatrix}\)——つまり各成分に \(E\) を掛けるのと同じ結果になるの。これを左辺に移項すると \((H - E\mathbb{1})\mathbf{a} = 0\)。成分で書けば \(\begin{pmatrix} E_0 - E & -A \\ -A & E_0 - E \end{pmatrix}\begin{pmatrix} a_1 \\ a_2 \end{pmatrix} = \begin{pmatrix} 0 \\ 0 \end{pmatrix}\) ということ——対角成分から \(E\) が引かれるだけね。これは「行列 \((H - E\mathbb{1})\) を掛けるとゼロベクトルになる」ような非ゼロのベクトル \(\mathbf{a}\) を探す問題ね。

🔵 カイ: \(\mathbf{a} = 0\) なら自明に成り立つけど、それじゃ意味がないですよね。非ゼロの解があるための条件は?

🟡 リナ: 結局やりたいのは「\((H - E\mathbb{1})\mathbf{a} = 0\)\(\mathbf{a} \neq 0\) の解があるための条件」を見つけることよね。これは成分で書けば連立方程式 \(ax + by = 0\), \(cx + dy = 0\)(ここで \(a, b, c, d\)\((H - E\mathbb{1})\) の成分)で \(x \neq 0\) の解を探すのと同じ。1 本目から \(x = -by/a\)\(a \neq 0\) として)を 2 本目に代入すると \((ad - bc)y/a = 0\)\(y \neq 0\) の解が存在するには \(ad - bc = 0\) が必要ね。

🔵 カイ: \(a = 0\) の場合はどうなるんですか?

🟡 リナ: いい質問。場合分けを全部追うと長くなるけれど、結論だけ言うと、\(a = 0\) のケースでも「非自明解がある ⟺ \(ad - bc = 0\)」という条件は変わらないの。例えば \(a = 0\), \(b \neq 0\) なら 1 本目が \(by = 0\)\(y = 0\) しかない——このとき \(ad - bc = -bc \neq 0\) だから「行列式がゼロでない → 非自明解なし」と整合しているわ。どの場合を調べても、結論は同じ——非ゼロの解の条件は常に \(ad - bc = 0\) よ。

🔵 カイ: なるほど、2 本の式が実質的に「同じこと」を言っている——独立な情報が 1 本分しかない——ということですか?

🟡 リナ: その通り! この量 \(ad - bc\)\(2 \times 2\) 行列 \(\begin{pmatrix} a & b \\ c & d \end{pmatrix}\)行列式 (determinant) と呼び、\(\det\) という記号で表すの:

\[\det\begin{pmatrix} a & b \\ c & d \end{pmatrix} = ad - bc\]

直感的には、行列式は「2 本の方程式がどれだけ独立か」を測る量——ゼロなら 2 本が実質 1 本分の情報しか持たず、ゼロでなければ 2 本が独立で解が一意に \(x = y = 0\) しかない。

🔵 カイ: 行列式がゼロでないときは \(x = y = 0\) しかない……逆に言えば、行列式がゼロのときだけ \(x \neq 0\) の解がある、ということですね。

⚪ メイ: 逆に言えば、行列式がゼロということは「2 本の方程式が実質 1 本分の情報しか持たない」——だから未知数の比だけが決まって、全体のスケールは自由に残る。それが「非ゼロの解がある」ということね。

🟡 リナ: その通り。補足しておくと、行列式がゼロでないとき、その行列には逆行列 (inverse matrix) が存在するの。逆行列とは、数の逆数 \(a^{-1}\)\(a \times a^{-1} = 1\))の行列版で、\(M M^{-1} = \mathbb{1}\)(単位行列)を満たす行列 \(M^{-1}\) のこと。もし逆行列が存在したら、\((H - E\mathbb{1})\mathbf{a} = 0\) の両辺に左から \(M^{-1}\) を掛けると \(\mathbf{a} = M^{-1} \cdot 0 = 0\) しか出ない——つまり「行列式がゼロでない → 解は \(\mathbf{a} = 0\) のみ」ということ。この対偶が「\(\mathbf{a} \neq 0\) の解がある → 行列式がゼロ」ね。今は「行列式がゼロ ⟺ 非ゼロの解がある」という結論だけ使えれば十分よ。だから、非ゼロの解が存在する条件は行列式がゼロ

\[\det\begin{pmatrix} E_0 - E & -A \\ -A & E_0 - E \end{pmatrix} = (E_0 - E)(E_0 - E) - (-A)(-A) = 0 \tag{6.11}\]

整理すると:

\[(E_0 - E)^2 - A^2 = 0 \tag{6.12}\]

🔵 カイ: あ、これ \((E_0 - E)^2 - A^2 = 0\) って、\(x^2 - a^2 = (x-a)(x+a)\) の形だ! 因数分解すると \((E_0 - E - A)(E_0 - E + A) = 0\) だから……

\[E_0 - E = \pm A\]

🟡 リナ: そう。\(E_0 - E = +A\) なら \(E = E_0 - A\)\(E_0 - E = -A\) なら \(E = E_0 + A\)。つまり 2 つの固有値が得られる:

\[E_I = E_0 + A \tag{6.13a}\]
\[E_{II} = E_0 - A \tag{6.13b}\]

🔵 カイ: あれ、\(E_I\) のほうがエネルギーが高いんですね。I が上で II が下って、ちょっと紛らわしいかも。

🟡 リナ: そうね。Feynman の教科書に合わせた番号づけだけど、\(E_I > E_{II}\) であることは覚えておいて。

⚪ メイ: 元は 1 つの値 \(E_0\) だったエネルギー準位が、トンネル効果の振幅 \(A\) によって上下に \(A\) ずつ分裂したのね。エネルギーの差は \(E_I - E_{II} = 2A\)

🟡 リナ: これがトンネル分裂 (tunnel splitting) よ。窒素原子が平面を貫通する可能性があるからこそ、エネルギー準位が 2 つに分かれるの。もし \(A = 0\)(トンネル効果なし)なら、\(E_I = E_{II} = E_0\) で 2 つの準位が重なってしまう——縮退 (degeneracy) した状態ね。この様子は後で図にまとめるわ。

固有ベクトルの計算

🟡 リナ: 次に、各固有値に対応する固有ベクトルを求めましょう。

固有値 \(E_I = E_0 + A\) の場合:

式 (6.9a) に \(E = E_0 + A\) を代入すると:

\[(E_0 + A)\,a_1 = E_0\,a_1 - A\,a_2\]
\[A\,a_1 = -A\,a_2\]
\[a_1 = -a_2 \tag{6.14a}\]

規格化条件 \(|a_1|^2 + |a_2|^2 = 1\) から \(|a_1| = |a_2| = 1/\sqrt{2}\)\(a_1 = -a_2\) だから、例えば \(a_1 = 1/\sqrt{2}\), \(a_2 = -1/\sqrt{2}\) と選べる(全体に \(e^{i\theta}\) を掛けても物理的に同じ状態を表すから、第 5 章で学んだように位相の選び方には自由度がある——ここでは最も簡単な実数の選択をしたの)。よって:

\[|I\rangle = \frac{1}{\sqrt{2}}\big(|1\rangle - |2\rangle\big) \tag{6.15a}\]

固有値 \(E_{II} = E_0 - A\) の場合:

式 (6.9a) に \(E = E_0 - A\) を代入すると:

\[(E_0 - A)\,a_1 = E_0\,a_1 - A\,a_2\]
\[-A\,a_1 = -A\,a_2\]
\[a_1 = a_2 \tag{6.14b}\]

規格化条件から \(|a_1| = |a_2| = 1/\sqrt{2}\)。よって:

\[|II\rangle = \frac{1}{\sqrt{2}}\big(|1\rangle + |2\rangle\big) \tag{6.15b}\]

🔵 カイ: 面白い! 低いエネルギーの状態 \(|II\rangle\)\(|1\rangle\)\(|2\rangle\) の「足し算」で、高いエネルギーの状態 \(|I\rangle\) は「引き算」なんですね。

🟡 リナ: そう。\(|II\rangle\) は窒素原子が上にいる振幅と下にいる振幅が同符号——対称状態\(|I\rangle\) は異符号——反対称状態。対称状態のほうがエネルギーが低い。これは 第 9 章 以降で井戸型ポテンシャルを扱うときにも繰り返し現れるパターンよ。

✅ 理解度チェック: 固有状態 \(|I\rangle\)\(|II\rangle\) のうち、エネルギーが低いのはどちらでしょうか? また、それは \(|1\rangle\)\(|2\rangle\) のどのような重ね合わせでしょうか?

答え

エネルギーが低いのは \(|II\rangle = \frac{1}{\sqrt{2}}(|1\rangle + |2\rangle)\) で、エネルギーは \(E_{II} = E_0 - A\)。これは \(|1\rangle\)\(|2\rangle\) を同符号で足し合わせた対称状態である。反対称状態 \(|I\rangle\) のほうがエネルギーが高い。

🟡 リナ: 2 つの固有ベクトルが直交しているか確認してみましょう。\(\langle I|II\rangle = \frac{1}{2}(\langle 1| - \langle 2|)(|1\rangle + |2\rangle) = \frac{1}{2}(1 + 0 - 0 - 1) = 0\)。直交しているわね。

⚪ メイ: 実際に計算で確認できるとすっきりするわ。これは偶然なのかしら、それとも一般的に成り立つの?

🟡 リナ: いい質問ね。実はこれは偶然じゃない。エルミート行列の異なる固有値に属する固有ベクトルは必ず直交する——これは線形代数の一般的な定理よ。物理的には、\(|I\rangle\)\(|II\rangle\) は「完全に区別可能な状態」ということ。図 6.2「位置基底とエネルギー基底の関係」 で、2 つの基底の関係を幾何学的に見てみましょう。

位置基底とエネルギー基底の関係

図 6.2: 位置基底とエネルギー基底の関係。「位置基底」\(\{|1\rangle, |2\rangle\}\) と「エネルギー基底」\(\{|I\rangle, |II\rangle\}\) は 45° 回転した関係にある。\(|II\rangle\)(対称)は \(|1\rangle\)\(|2\rangle\) の等しい足し合わせ、\(|I\rangle\)(反対称)は引き算。

🟡 リナ: ここまでの結果を図で整理しておきましょう。アンモニア分子のポテンシャルエネルギーを窒素の位置の関数として描くと、「上」と「下」の 2 つの安定位置に対応する 2 つの谷(井戸)が、中央の障壁で隔てられた形になる——これをダブルウェルポテンシャル (double-well potential) と呼ぶの(図 6.3「ダブルウェルポテンシャルとエネルギー分裂」)。

ダブルウェルポテンシャルとエネルギー分裂

図 6.3: ダブルウェルポテンシャルとエネルギー分裂。アンモニア分子のダブルウェルポテンシャル。状態 \(|1\rangle\)(窒素が上)と \(|2\rangle\)(窒素が下)の 2 つの井戸があり、その間の障壁を量子トンネル効果で行き来する。対称状態 \(|II\rangle\) のエネルギーは \(E_0 - A\)(低い方)、反対称状態 \(|I\rangle\) のエネルギーは \(E_0 + A\)(高い方)に分裂する。

✅ 理解度チェック: アンモニア分子のトンネル分裂 \(2A\) に対応するマイクロ波の振動数は約 24,000 MHz。もしトンネル効果がなかったら (\(A = 0\))、エネルギー準位はどうなるでしょうか?

答え

\(A = 0\) なら \(E_I = E_{II} = E_0\) となり、2 つのエネルギー準位が完全に重なる(縮退する)。窒素原子が平面を貫通できなければ、「上」と「下」の配置は独立で区別がつかず、エネルギー差が生じない。

📝 練習問題:


6.5 定常状態の時間発展

🟡 リナ: 固有値と固有ベクトルが分かったから、定常状態の時間発展を書き下せるわ。固有状態 \(|I\rangle\) に初期時刻 \(t = 0\) でいた系は、時刻 \(t\) では:

\[|\psi_I(t)\rangle = |I\rangle\,e^{-iE_I t/\hbar} = \frac{1}{\sqrt{2}}\big(|1\rangle - |2\rangle\big)\,e^{-i(E_0 + A)t/\hbar} \tag{6.16a}\]

同様に固有状態 \(|II\rangle\) なら:

\[|\psi_{II}(t)\rangle = |II\rangle\,e^{-iE_{II} t/\hbar} = \frac{1}{\sqrt{2}}\big(|1\rangle + |2\rangle\big)\,e^{-i(E_0 - A)t/\hbar} \tag{6.16b}\]

🔵 カイ: \(e^{-iEt/\hbar}\) って、絶対値は常に 1 ですよね? だから \(|C_1|^2\)\(|C_2|^2\) は時間が経っても変わらない。

🟡 リナ: その通り。定常状態では、状態 \(|1\rangle\)\(|2\rangle\) で見つかる確率は時間に依存しない。だから「定常」と呼ぶの。

✅ 理解度チェック: 定常状態では振幅に \(e^{-iEt/\hbar}\) という時間依存性があるのに、なぜ「定常」と呼ばれるのでしょうか?

答え

\(e^{-iEt/\hbar}\) は絶対値が常に 1 の位相因子であるため、確率 \(|C_1|^2\)\(|C_2|^2\) は時間に依存しない。観測にかかる物理量(確率)が変化しないので「定常」と呼ばれる。変化しているのは振幅の位相だけである。

⚪ メイ: 例えば状態 \(|II\rangle\) にいるとき、\(|1\rangle\) で見つかる確率は \(|1/\sqrt{2}|^2 = 1/2\)\(|2\rangle\) で見つかる確率も \(1/2\)。窒素が上にいる確率と下にいる確率が常に半々で、それが時間的に変わらない。

🟡 リナ: ただし、振幅の位相は回転し続けている。\(e^{-iE_I t/\hbar}\)\(e^{-iE_{II} t/\hbar}\) は異なる角振動数で回転するから、定常状態でない重ね合わせを作ると——面白いことが起きるのよ。


6.6 量子振動 — 初期条件に応じた振幅の時間変化

🟡 リナ: いよいよこの章のハイライト。\(t = 0\) で窒素が「上」にある——つまり \(|\psi(0)\rangle = |1\rangle\)——という初期条件を考えましょう。

🔵 カイ: \(|1\rangle\) は固有状態じゃないですよね? \(|I\rangle\)\(|II\rangle\) の重ね合わせで書く必要がある。

🟡 リナ: そう。式 (6.15a) と (6.15b) を足し合わせて \(|1\rangle\) を求めてみましょう:

\[|II\rangle + |I\rangle = \frac{1}{\sqrt{2}}\big(|1\rangle + |2\rangle\big) + \frac{1}{\sqrt{2}}\big(|1\rangle - |2\rangle\big) = \sqrt{2}\,|1\rangle\]

よって:

\[|1\rangle = \frac{1}{\sqrt{2}}\big(|I\rangle + |II\rangle\big) \tag{6.17a}\]

同様に \(|II\rangle - |I\rangle\) を計算すると:

\[|II\rangle - |I\rangle = \frac{1}{\sqrt{2}}(|1\rangle + |2\rangle) - \frac{1}{\sqrt{2}}(|1\rangle - |2\rangle) = \sqrt{2}\,|2\rangle\]

よって:

\[|2\rangle = \frac{1}{\sqrt{2}}\big(|II\rangle - |I\rangle\big) \tag{6.17b}\]

🟡 リナ: これは基底の変換ね。\(\{|1\rangle, |2\rangle\}\)\(\{|I\rangle, |II\rangle\}\) はどちらも 2 状態系の基底だけど、後者は Hamiltonian の固有状態だからエネルギー基底と呼ぶの。

⚪ メイ: 同じ状態を、位置的な基底で見るかエネルギー基底で見るか——視点を切り替えているだけなのね。

🟡 リナ: そう。では、\(|\psi(0)\rangle = |1\rangle\) を式 (6.17a) で書き換えて、各固有状態に時間発展の位相因子をつける。なぜこれが許されるかというと、式 (6.2) が線形だからよ。線形方程式では「解の重ね合わせもまた解」——だから、固有状態 \(|I\rangle\) の時間発展と \(|II\rangle\) の時間発展をそれぞれ求めて足し合わせれば、全体の時間発展になるの:

\[|\psi(t)\rangle = \frac{1}{\sqrt{2}}\Big(|I\rangle\,e^{-iE_I t/\hbar} + |II\rangle\,e^{-iE_{II} t/\hbar}\Big) \tag{6.18}\]

\(|I\rangle\)\(|II\rangle\) を元の基底に戻すと:

\[|\psi(t)\rangle = \frac{1}{\sqrt{2}}\left[\frac{1}{\sqrt{2}}(|1\rangle - |2\rangle)\,e^{-iE_I t/\hbar} + \frac{1}{\sqrt{2}}(|1\rangle + |2\rangle)\,e^{-iE_{II} t/\hbar}\right]\]

\(|1\rangle\) の係数をまとめると、\(|I\rangle\) からの寄与が \(\frac{1}{\sqrt{2}} \cdot \frac{1}{\sqrt{2}} = \frac{1}{2}\)\(|II\rangle\) からの寄与も \(\frac{1}{\sqrt{2}} \cdot \frac{1}{\sqrt{2}} = \frac{1}{2}\) だから:

\[C_1(t) = \frac{1}{2}\Big(e^{-iE_I t/\hbar} + e^{-iE_{II} t/\hbar}\Big) \tag{6.19a}\]

同様に \(|2\rangle\) の係数を求めよう。\(C_1\) のときと同じ方法で、各固有状態の中の \(|2\rangle\) の係数を拾い集めるの。\(|I\rangle = \frac{1}{\sqrt{2}}(|1\rangle - |2\rangle)\) だから、\(|I\rangle\) の中の \(|2\rangle\) の係数は \(-1/\sqrt{2}\)。式 (6.18) で \(|I\rangle\) の前に \(1/\sqrt{2}\) が掛かっているから、\(|I\rangle\) からの \(|2\rangle\) への寄与は \(\frac{1}{\sqrt{2}} \times (-\frac{1}{\sqrt{2}}) = -\frac{1}{2}\)。同様に \(|II\rangle = \frac{1}{\sqrt{2}}(|1\rangle + |2\rangle)\) の中の \(|2\rangle\) の係数は \(+1/\sqrt{2}\) で、式 (6.18) で \(|II\rangle\) の前にも \(1/\sqrt{2}\) が掛かっているから、\(|II\rangle\) からの寄与は \(\frac{1}{\sqrt{2}} \times \frac{1}{\sqrt{2}} = +\frac{1}{2}\)。よって(\(|I\rangle\) の寄与、\(|II\rangle\) の寄与の順に書くと):

\[C_2(t) = -\frac{1}{2}\,e^{-iE_I t/\hbar} + \frac{1}{2}\,e^{-iE_{II} t/\hbar} = \frac{1}{2}\Big(e^{-iE_{II} t/\hbar} - e^{-iE_I t/\hbar}\Big) \tag{6.19b}\]

(最後の等号は、\(-a + b = b - a\) で 2 つの項の順番を入れ替えただけ。こう書き直す理由は、すぐ後で \(E_I = E_0 + A\), \(E_{II} = E_0 - A\) を代入するとき、\(e^{-iE_{II} t/\hbar} - e^{-iE_I t/\hbar} = e^{-i(E_0-A)t/\hbar} - e^{-i(E_0+A)t/\hbar}\) となり、共通因子 \(e^{-iE_0 t/\hbar}\) を括り出すと \(e^{+iAt/\hbar} - e^{-iAt/\hbar}\) の形——つまり Euler の公式で \(\sin\) に変換できる形——が現れるからよ。)

🔵 カイ: 2 つの複素指数関数の和と差……。これって「うなり」みたいなものですか?

🟡 リナ: まさにそう! 共通因子を括り出してみましょう。\(E_I = E_0 + A\), \(E_{II} = E_0 - A\) を式 (6.19a) に代入すると:

\[C_1(t) = \frac{1}{2}\Big(e^{-i(E_0+A)t/\hbar} + e^{-i(E_0-A)t/\hbar}\Big) = \frac{1}{2}e^{-iE_0 t/\hbar}\Big(e^{-iAt/\hbar} + e^{+iAt/\hbar}\Big)\]

括弧の中は \(e^{-iAt/\hbar} + e^{+iAt/\hbar}\) という形ね。同様に \(C_2\) のほうも整理すると:

\[C_2(t) = \frac{1}{2}e^{-iE_0 t/\hbar}\Big(-e^{-iAt/\hbar} + e^{+iAt/\hbar}\Big)\]

⚪ メイ: \(C_1\) が「和」の形で \(C_2\) が「差」の形——ここから三角関数が出てきそうね。

🟡 リナ: ここで Euler (オイラー) の公式を使うわ。第 4 章で紹介した \(e^{i\theta} = \cos\theta + i\sin\theta\) から、2 つの便利な公式が導ける:

\[e^{i\theta} + e^{-i\theta} = 2\cos\theta, \quad e^{i\theta} - e^{-i\theta} = 2i\sin\theta\]

\(C_1\) のほうは括弧の中が \(e^{-iAt/\hbar} + e^{+iAt/\hbar} = 2\cos(At/\hbar)\) だから、\(1/2\) を掛けて \(\cos(At/\hbar)\)\(C_2\) のほうは括弧の中が \(-e^{-iAt/\hbar} + e^{+iAt/\hbar}\) ね。これは項の順番を入れ替えれば \(e^{+iAt/\hbar} - e^{-iAt/\hbar}\)——つまり上の 2 番目の公式で \(\theta = At/\hbar\) としたものそのもの。だから \(e^{+iAt/\hbar} - e^{-iAt/\hbar} = 2i\sin(At/\hbar)\) で、\(1/2\) を掛けて \(i\sin(At/\hbar)\)

🔵 カイ: おお、\(\cos\)\(i\sin\) にきれいに分かれるんですね!

🟡 リナ: その通り。そして \(\cos\)\(\sin\)\(\pi/2\) だけずれた関数だから、2 つの振幅が交互に大きくなったり小さくなったりする——これが量子振動の正体よ。まとめると:

\[C_1(t) = e^{-iE_0 t/\hbar}\cos\!\left(\frac{At}{\hbar}\right) \tag{6.20a}\]
\[C_2(t) = i\,e^{-iE_0 t/\hbar}\sin\!\left(\frac{At}{\hbar}\right) \tag{6.20b}\]

🟡 リナ: では確率を計算しましょう:

\[P_1(t) = |C_1(t)|^2 = \cos^2\!\left(\frac{At}{\hbar}\right) \tag{6.21a}\]
\[P_2(t) = |C_2(t)|^2 = \sin^2\!\left(\frac{At}{\hbar}\right) \tag{6.21b}\]

🔵 カイ: おおお! \(\cos^2\)\(\sin^2\) で確率が行ったり来たりする……窒素原子が上と下を周期的に往復するってことですか!?

🟡 リナ: その通り。古典力学では障壁を越えられないはずの窒素原子が、量子力学では確率的に行ったり来たりする——これが量子振動の本質よ。具体的に確認してみましょう。\(t = 0\) では \(\cos^2(0) = 1\) だから \(P_1 = 1\) で窒素は確かに上。時間が経つと \(P_1\) が減っていく。

🔵 カイ: \(\cos^2\) がゼロになるのは……\(At/\hbar = \pi/2\) のときだから、\(t = \pi\hbar/(2A)\)\(P_1 = 0\)。ってことは、窒素が完全に「下」に移る瞬間があるんですか!? 障壁を越えられないはずなのに!

⚪ メイ: そう。そのとき \(P_2 = \sin^2(\pi/2) = 1\) だから確率 100% で下にいる。そしてまた戻ってくる——周期的な振動ね。

🟡 リナ: これが量子振動 (quantum oscillation)、あるいは Rabi 振動 (ラビ振動) と呼ばれる現象よ。角振動数を求めてみましょう。\(P_1(t) = \cos^2(At/\hbar)\) を半角の公式 \(\cos^2\theta = \frac{1}{2}(1 + \cos 2\theta)\) で書き直すと \(P_1(t) = \frac{1}{2}(1 + \cos(2At/\hbar))\)。この式を見ると、確率は一定値 \(1/2\) のまわりを \(\cos(2At/\hbar)\) で振動している。\(\cos\) の中身が \(2At/\hbar\) だから、確率の振動の角振動数は:

\[\omega_0 = \frac{2A}{\hbar} \tag{6.22}\]

振動の周期は:

\[T = \frac{2\pi}{\omega_0} = \frac{\pi\hbar}{A} \tag{6.23}\]

この周期 \(T\) の間に、窒素原子は「上→下→上」と 1 往復する。この振動の様子をグラフにしたのが 図 6.4「Rabi振動による確率の時間変化」 よ。

Rabi振動による確率の時間変化

図 6.4: Rabi振動による確率の時間変化。初期状態 \(|\psi(0)\rangle = |1\rangle\) からの Rabi 振動。\(P_1(t) = \cos^2(At/\hbar)\)(青)と \(P_2(t) = \sin^2(At/\hbar)\)(赤)。確率は完全に行き来し、\(P_1 + P_2 = 1\) が常に成り立つ。

⚪ メイ: 確率が \(\cos^2\)\(\sin^2\) で振動するから、\(P_1 + P_2 = \cos^2 + \sin^2 = 1\) は常に成り立つ。確率の保存が確認できるわ。

🔵 カイ: ちょっと待ってください。窒素原子が水素の平面を「すり抜ける」のに、古典的にはエネルギーが足りないはずですよね? なのに確率が \(\sin^2\) で増えていく。……でも、障壁が高くなったら \(A\) は小さくなるんですか? つまり、障壁が無限に高い極限ではトンネル効果がなくなって振動も止まる?

🟡 リナ: いい質問ね。その通りよ。障壁が高く厚いほど \(A\) は指数関数的に小さくなる。古典的には窒素原子はポテンシャル障壁に阻まれて反対側に行けない。でも量子力学では、障壁を「トンネル」する振幅 \(A\) がゼロでない限り、振動が起きる。\(A\) が小さければ振動はゆっくりだけど、有限の障壁では決してゼロにはならないの。

🔵 カイ: 「指数関数的に小さくなる」ということは、障壁が少し厚くなるだけで \(A\) が激減するんですね。……ということは、日常のスケールだと障壁が桁違いに厚いから、壁をすり抜ける確率は事実上ゼロってことですか?

🟡 リナ: その通り。マクロな物体では障壁が原子スケールに比べて桁違いに厚いから、\(A\) は天文学的に小さくなるの。でも逆に言えば、\(A\) が有限である限り——つまり障壁が有限の高さ・厚さである限り——量子振動は決してゼロにはならない。「完全に止まる」のは障壁が無限大の極限だけ。これが古典力学との本質的な違いよ。

⚪ メイ: つまり、古典力学では「越えられない壁」が量子力学では「越えにくいだけの壁」になる——程度の問題であって、原理的にはゼロにならないのね。

✅ 理解度チェック: Rabi 振動の角振動数 \(\omega_0\) はどのように表されるでしょうか? また、トンネル振幅 \(A\) が大きいほど振動は速くなるか遅くなるでしょうか?

答え

\(\omega_0 = 2A/\hbar\)\(A\) が大きいほど角振動数が大きくなるので、振動は速くなる。トンネル効果が強い(障壁を通り抜けやすい)ほど、窒素原子の上下の行き来が頻繁になる。

✅ 理解度チェック: 初期状態が \(|\psi(0)\rangle = |2\rangle\)(窒素が「下」)だったら、\(P_1(t)\)\(P_2(t)\) はどうなるでしょうか?

答え

式 (6.17b) より \(|2\rangle = \frac{1}{\sqrt{2}}(-|I\rangle + |II\rangle)\)。同様の計算をすると \(P_1(t) = \sin^2(At/\hbar)\)\(P_2(t) = \cos^2(At/\hbar)\)。つまり、初期条件が入れ替わっただけで、振動のパターンは同じ(\(\cos\)\(\sin\) が入れ替わる)。

📝 練習問題:

  • 初期状態 \(|\psi(0)\rangle = |II\rangle\)(低エネルギー固有状態)のとき、\(P_1(t)\)\(P_2(t)\) を計算し、時間に依存しないことを確認せよ。 → 問題 B-5. 確率の時間依存性の計算

6.7 なぜ Hamiltonian が中心にあるのか — ここまでの振り返り

🔵 カイ: ここまで来て思うんですけど、Hamiltonian 行列って本当に強力ですね。行列を一つ書き下すだけで、エネルギー準位も、定常状態も、時間変化も全部出てくる。

🟡 リナ: そう。量子力学の「問題を解く」とは、突き詰めればHamiltonian を書き下し、その固有値と固有ベクトルを求めることなの。手順をまとめると:

  1. 基底を選ぶ: 物理的に自然な基底(basis)\(\{|1\rangle, |2\rangle, \ldots\}\) を設定する
  2. Hamiltonian 行列を決める: 対称性や物理的考察から \(H_{ij}\) を決定する
  3. 固有値問題を解く: \(H|E_n\rangle = E_n|E_n\rangle\) — エネルギー準位 \(E_n\) と固有状態 \(|E_n\rangle\) を得る
  4. 初期条件を固有状態で展開する: \(|\psi(0)\rangle = \sum_n c_n |E_n\rangle\)
  5. 時間発展を書く: \(|\psi(t)\rangle = \sum_n c_n\,e^{-iE_n t/\hbar}|E_n\rangle\)

表 6.2: 量子力学の問題を解く 5 ステップ

ステップ 操作 アンモニア分子での具体例
1. 基底を選ぶ 物理的に自然な状態を列挙 \(\|1\rangle\)(N が上)、\(\|2\rangle\)(N が下)
2. Hamiltonian を決める 対称性・物理的考察を使う \(H = \begin{pmatrix} E_0 & -A \\\\ -A & E_0 \end{pmatrix}\)
3. 固有値問題を解く \(\det(H - E\mathbb{1}) = 0\) \(E_I = E_0 + A\)\(E_{II} = E_0 - A\)
4. 初期条件を展開 \(c_n = \langle E_n\|\psi(0)\rangle\) \(\|1\rangle = \frac{1}{\sqrt{2}}(\|I\rangle + \|II\rangle)\)
5. 時間発展を書く 各固有状態に \(e^{-iE_n t/\hbar}\) を付与 \(P_1(t) = \cos^2(At/\hbar)\)(Rabi 振動)

⚪ メイ: このレシピは 2 状態系に限らず、もっと多くの状態がある系でも同じ構造ね。

🟡 リナ: その通り。第 7 章 以降で波動関数と Schrödinger (シュレーディンガー) 方程式を導入するけれど、基本的な論理構造はここで見たものと同じよ。Hamiltonian の固有値がエネルギー、固有状態が定常状態、一般の状態は固有状態の重ね合わせで時間発展する——この骨格は量子力学全体を貫いているの。

🔵 カイ: 2 状態系で練習しておくと、後が楽になりそうですね。……でも、状態が 3 つ以上になったら、固有値を求めるのがすごく大変になりませんか? 3 次方程式とか出てきそう。

🟡 リナ: いい心配ね。実際、\(N\) 状態系では \(N\) 次の方程式を解く必要がある。でも多くの場合、対称性を使って問題を小さなブロックに分解できるの。それは後の章で見ていくわ。

🔵 カイ: 対称性がまた出てくるんですね。アンモニアでも対称性で \(H_{11} = H_{22}\) が決まったし……逆に言えば、対称性がない系では Hamiltonian を決めるのがずっと難しくなるってことですか。

🟡 リナ: その通り。対称性が少ない系ほど、Hamiltonian の成分を決めるのに実験データや他の理論的考察が必要になるわ。でも逆に言えば、対称性を見つけることが問題を解く最大の武器になる——これは量子力学に限らず物理学全体に通じる教訓ね。

🔵 カイ: 「対称性を見つけることが武器」か……。確かに、アンモニアでは上下の対称性一つで行列の半分が決まったわけですもんね。

✅ 理解度チェック: 量子力学で「問題を解く」基本的な手順を 5 つのステップで述べてください。

答え

(1) 基底(basis)を選ぶ、(2) Hamiltonian 行列を決める、(3) 固有値問題を解いてエネルギー準位と固有状態を得る、(4) 初期条件を固有状態で展開する、(5) 各固有状態に位相因子 \(e^{-iE_n t/\hbar}\) をつけて時間発展を書く。


6.8 電場中のアンモニア分子 — 対称性が破れたとき

🟡 リナ: ここからはもう一歩進んで、アンモニア分子に外部から電場をかけた場合を考えましょう。

🔵 カイ: 電場をかけると何が変わるんですか?

🟡 リナ: アンモニア分子は電気双極子モーメント (electric dipole moment) \(\mu\) を持っているの。電気双極子モーメントとは、分子内で正電荷と負電荷の重心がずれているとき、そのずれの大きさと方向を表す量よ。定量的には、正電荷 \(q\) と負電荷 \(-q\) が距離 \(d\) だけ離れているとき、双極子モーメントの大きさは \(\mu = qd\) で定義される。次元は \([\text{電荷}] \times [\text{長さ}]\) で、SI 単位は C·m(クーロン・メートル)よ。

🔵 カイ: 正と負がずれている……具体的にはどういうことですか?

🟡 リナ: 窒素原子は電子を水素原子より強く引きつけるの。だから窒素側がやや負(\(-\))、水素側がやや正(\(+\))に帯電する。双極子モーメントの方向は、負電荷から正電荷に向かう方向と定義されるわ。「\(-\) から \(+\) を指す矢印」と覚えて。図 6.1「アンモニア分子の構造」 をもう一度見て——窒素(\(-\))が上、水素(\(+\))が下にある配置では、矢印は上(\(-\))から下(\(+\))に向かうから、双極子は「下向き」。窒素が「下」にある配置ではその逆で、双極子は「上向き」。

そして、双極子が電場中に置かれたときのエネルギーの話をするわね。正電荷は電場の方向に引かれ、負電荷は逆方向に引かれる。だから双極子の矢印が電場と同じ向きのとき——つまり正電荷の側が電場の方向にあるとき——が最も安定でエネルギーが最低。逆向きのときが最も不安定でエネルギーが最高。これを「双極子が電場と揃っている」と表現するの。

🔵 カイ: えっと、整理させてください。窒素が「上」にあるとき、負電荷(窒素側)が上で正電荷(水素側)が下だから……矢印は上の \(-\) から下の \(+\) に向かう。つまり双極子は「下向き」。窒素が「下」にあるなら、負電荷が下で正電荷が上だから、矢印は下から上で「上向き」ですね。

⚪ メイ: 「双極子の矢印は \(-\) から \(+\) を指す」——これさえ覚えておけば、窒素の位置が決まれば矢印の向きも決まるわね。

🟡 リナ: その通り。ゆっくり確認してくれたわね。ポイントは「矢印の向き」と「窒素の位置」が常に逆——窒素が上なら矢印は下、窒素が下なら矢印は上。この対応を頭に入れておいて。

⚪ メイ: 窒素の位置が反転すると、双極子モーメントの向きも反転するのね。

🟡 リナ: そう。外部電場 \(\mathcal{E}\) を「上向き」にかけるとしましょう。双極子が電場中に置かれると、正電荷の側は電場の方向に引かれ、負電荷の側は逆方向に引かれる。双極子が電場と揃っているときは「安定」でエネルギーが低く、逆向きのときは「不安定」でエネルギーが高い。これを定量的に書くと、双極子モーメントと電場の相互作用エネルギーは \(U = -\mu\mathcal{E}\cos\theta\) となるの(\(\theta\) は双極子と電場のなす角)。この式の由来を簡単に説明すると、正電荷 \(+q\) は電場の方向に \(F = qE\) の力を受け、負電荷 \(-q\) は逆方向に同じ大きさの力を受ける。双極子が電場と角度 \(\theta\) をなすとき、電場方向の「有効な長さ」は \(d\cos\theta\) だから、仕事(エネルギー)は \(-qd\mathcal{E}\cos\theta = -\mu\mathcal{E}\cos\theta\) となるの。揃っているとき (\(\theta = 0°\)) にエネルギーが最も低く \(U = -\mu\mathcal{E}\)、逆向き (\(\theta = 180°\)) のとき最も高く \(U = +\mu\mathcal{E}\) になるの。

🔵 カイ: 揃うとエネルギーが下がり、逆向きだと上がる……磁石が磁場に揃おうとするのと似ていますね。

🟡 リナ: いい類推ね。具体的に確認してみましょう。窒素が「上」にある状態 \(|1\rangle\) では、さっき確認したように双極子は下向き。電場は上向きだから、双極子と電場は逆向き(\(\theta = 180°\))で \(U = +\mu\mathcal{E}\)(エネルギーが高い)。窒素が「下」にある状態 \(|2\rangle\) では双極子が上向きだから電場と同じ向き(\(\theta = 0°\))で \(U = -\mu\mathcal{E}\)(エネルギーが低い)。

🔵 カイ: つまり、\(H_{11} \neq H_{22}\) になるんですね! 対称性が破れる!

🟡 リナ: その通り。電場中の Hamiltonian は:

\[H = \begin{pmatrix} E_0 + \mu\mathcal{E} & -A \\ -A & E_0 - \mu\mathcal{E} \end{pmatrix} \tag{6.24}\]

ここで、トンネル振幅 \(-A\) は電場の影響をほとんど受けないと仮定しているわ。

🔵 カイ: 電場を変えるとエネルギー準位がどう動くか、図で見たいです。

🟡 リナ: いい提案ね。図 6.5「電場中のエネルギー準位」 を見て。もし \(A = 0\)(トンネル効果なし)なら、2 つのエネルギー準位は直線的に変化して \(\mu\mathcal{E} = 0\) で交差する(破線)。でも \(A \neq 0\) だと、交差するはずだった点で準位が「はじき合う」ように離れる——これを避交差 (avoided crossing) と呼ぶの。すぐ後で固有値を計算するけれど、結果を先に言うと、準位間隔は \(2\sqrt{A^2 + \mu^2\mathcal{E}^2}\) になる。\(A \neq 0\) である限りこれは決してゼロにならない——つまり 2 本の準位は決して交わらないの。最も接近する点(\(\mathcal{E} = 0\))での間隔が \(2A\) よ。

電場中のエネルギー準位

図 6.5: 電場中のエネルギー準位。横軸は \(\mu\mathcal{E}/A\)、縦軸はエネルギー。破線は \(A = 0\)(トンネル効果なし)の場合で、2 本の直線が交差する。実線は \(A \neq 0\) の場合で、交差が避けられ(避交差)、最小間隔は \(2A\)

電場中の固有値

🟡 リナ: 固有値を求めましょう。一般の 2 状態 Hamiltonian

\[H = \begin{pmatrix} H_{11} & H_{12} \\ H_{21} & H_{22} \end{pmatrix}\]

の固有値は:

\[E = \frac{H_{11} + H_{22}}{2} \pm \sqrt{\left(\frac{H_{11} - H_{22}}{2}\right)^2 + |H_{12}|^2} \tag{6.25}\]

🔵 カイ: これはどこから出てくるんですか?

🟡 リナ: 前のセクションと同じ手順よ。\(\det(H - E\mathbb{1}) = 0\) を一般の成分で書くと \((H_{11} - E)(H_{22} - E) - H_{12}H_{21} = 0\)——行列式の定義 \(ad - bc\)\(a = H_{11} - E\), \(b = H_{12}\), \(c = H_{21}\), \(d = H_{22} - E\) としただけね。これを展開するわ。エルミート性から \(H_{12}H_{21} = H_{12}H_{12}^* = |H_{12}|^2\) を使うと:

\[E^2 - (H_{11} + H_{22})E + (H_{11}H_{22} - |H_{12}|^2) = 0\]

これは \(E\) についての 2 次方程式だから、高校で習った解の公式 \(E = \frac{(H_{11}+H_{22}) \pm \sqrt{(H_{11}+H_{22})^2 - 4(H_{11}H_{22} - |H_{12}|^2)}}{2}\) を使う。判別式の中身を整理すると \((H_{11}+H_{22})^2 - 4H_{11}H_{22} + 4|H_{12}|^2 = (H_{11}-H_{22})^2 + 4|H_{12}|^2\) だから、式 (6.25) が出るの。これはアンモニア分子に限らず、どんな 2 状態 Hamiltonian にも使える一般公式よ。

⚪ メイ: つまり、\(H_{11}\), \(H_{22}\), \(H_{12}\) の 3 つさえ分かれば、固有値がすぐ求まるのね。

🟡 リナ: アンモニア分子の場合、\(H_{11} + H_{22} = 2E_0\), \(H_{11} - H_{22} = 2\mu\mathcal{E}\), \(|H_{12}|^2 = A^2\) を代入すると:

\[E_I = E_0 + \sqrt{A^2 + \mu^2\mathcal{E}^2} \tag{6.26a}\]
\[E_{II} = E_0 - \sqrt{A^2 + \mu^2\mathcal{E}^2} \tag{6.26b}\]

🔵 カイ: \(\mathcal{E} = 0\) のときは \(\sqrt{A^2} = A\) だから、\(E_I = E_0 + A\), \(E_{II} = E_0 - A\) に戻りますね。

🟡 リナ: そう。電場が強くなると準位間隔 \(E_I - E_{II} = 2\sqrt{A^2 + \mu^2\mathcal{E}^2}\) が広がっていく。

極限の振る舞い

🟡 リナ: 2 つの極限を見ておきましょう。

弱電場 (\(\mu\mathcal{E} \ll A\)) の場合:

\[\sqrt{A^2 + \mu^2\mathcal{E}^2} = A\sqrt{1 + \frac{\mu^2\mathcal{E}^2}{A^2}} \approx A\left(1 + \frac{1}{2}\cdot\frac{\mu^2\mathcal{E}^2}{A^2}\right) = A + \frac{\mu^2\mathcal{E}^2}{2A}\]

ここで \(\sqrt{1+x} \approx 1 + x/2\)\(x \ll 1\) のとき)という近似を使ったわ。これは \((1+x)^{1/2}\) の 1 次のテイラー展開——つまり「\(x\) が十分小さいとき、\(x^2\) 以上の項を無視して 1 次の項だけ残す」という近似よ。実際に \(x = 0.01\) で試すと \(\sqrt{1.01} = 1.00499\ldots \approx 1 + 0.005 = 1.005\) で、よく合っているでしょう?

よって:

\[E_I \approx E_0 + A + \frac{\mu^2\mathcal{E}^2}{2A}, \quad E_{II} \approx E_0 - A - \frac{\mu^2\mathcal{E}^2}{2A} \tag{6.27}\]

⚪ メイ: エネルギーの変化が \(\mathcal{E}^2\) に比例するのね。1 乗ではなく 2 乗というのが興味深いわ。

🟡 リナ: そう。エネルギーの変化が \(\mathcal{E}^2\) に比例するとき、その比例係数を分極率 (polarizability) と呼ぶの。ここでは \(\mu^2/(2A)\) がその役割を果たしているわ。\(A\) が小さいほど分極率が大きい——つまり電場に敏感。直感的には、\(A\) が小さいということは 2 つの準位が接近しているということ。準位が近いほど、外部の摂動(電場)で状態が混ざりやすく、エネルギーが大きく動くの。アンモニア分子は \(A\) が非常に小さい(マイクロ波のエネルギースケール)ため、分極率が異常に大きいの。

🔵 カイ: 準位が近いと電場に敏感……なんだか、バランスが不安定な方がちょっと押しただけで大きく動くのに似ていますね。

🟡 リナ: 強電場 (\(\mu\mathcal{E} \gg A\)) の場合:

\[E_I \approx E_0 + \mu\mathcal{E}, \quad E_{II} \approx E_0 - \mu\mathcal{E} \tag{6.28}\]

🔵 カイ: これは \(A\) が効かなくなるってことですか?

🟡 リナ: そう。電場が非常に強いと、「上」と「下」のエネルギー差 \(2\mu\mathcal{E}\) がトンネル振幅 \(A\) を圧倒する。窒素原子はエネルギーの低い側に「固定」されてしまい、反対側にトンネルする効果がほとんど見えなくなるの。

🔵 カイ: 強い電場がトンネル効果を「殺す」んですね。直感的にも分かる気がします。エネルギーの坂が急すぎて、すり抜けても意味がないというか。

🟡 リナ: 2 つの極限を表にまとめておくわね。

表 6.3: 電場の強さによる振る舞いの比較

弱電場 (\(\mu\mathcal{E} \ll A\)) 強電場 (\(\mu\mathcal{E} \gg A\))
エネルギーの電場依存性 \(\mathcal{E}^2\) に比例(2 次) \(\mathcal{E}\) に比例(1 次)
準位間隔 \(\approx 2A\)(ほぼ一定) \(\approx 2\mu\mathcal{E}\)(電場に比例)
固有状態の性格 対称・反対称(\(\|1\rangle \pm \|2\rangle\) ほぼ \(\|1\rangle\)\(\|2\rangle\)(局在化)
トンネル効果の影響 支配的(量子振動が起きる) 抑制される(窒素が片側に固定)
物理的描像 窒素は上下を行き来 窒素はエネルギーの低い側に留まる

✅ 理解度チェック: 弱電場の極限 (\(\mu\mathcal{E} \ll A\)) では、エネルギー準位の電場依存性は \(\mathcal{E}\) の何乗に比例するでしょうか? その比例係数は何と呼ばれるでしょうか?

答え

弱電場ではエネルギーの変化は \(\mathcal{E}^2\) に比例する(2次の効果)。比例係数 \(\mu^2/(2A)\) は分極率 (polarizability) と呼ばれる。\(A\) が小さいほど分極率が大きく、電場に対して敏感になる。

✅ 理解度チェック: 電場 \(\mathcal{E}\) を徐々に強くしたとき、エネルギー準位 \(E_I\)\(E_{II}\) の間隔はどう変化するでしょうか?

答え

\(E_I - E_{II} = 2\sqrt{A^2 + \mu^2\mathcal{E}^2}\)\(\mathcal{E} = 0\) では \(2A\)\(\mathcal{E}\) が増えるにつれて単調に増大し、\(\mathcal{E} \gg A/\mu\) では \(2\mu\mathcal{E}\) に近づく。準位間隔は電場とともに広がる一方で、狭まることはない。

📝 練習問題:


6.9 アンモニアメーザーの原理 — 振動する電場による状態間遷移

🟡 リナ: 最後に、アンモニアメーザー (ammonia maser) の動作原理に触れましょう。MASERMicrowave Amplification by Stimulated Emission of Radiation(誘導放射によるマイクロ波増幅)の略よ。

🔵 カイ: 第 1 章で Einstein (アインシュタイン) の誘導放出 (1917) の話がありましたよね。それと関係があるんですか?

🟡 リナ: まさに。Einstein が予言した誘導放出を、アンモニア分子の 2 準位系で実現したのがメーザーなの。1954 年に Townes (タウンズ) らが初めて動作させた装置で、後のレーザー (LASER) の原型になったわ。

分子の分離

🟡 リナ: メーザーの動作には準備が必要。まず、アンモニア分子のビームを作り、状態 \(|I\rangle\)(高エネルギー)と \(|II\rangle\)(低エネルギー)の分子を分離する。

🔵 カイ: どうやって分離するんですか?

🟡 リナ: 不均一な電場を使うの。式 (6.27) を見て。弱電場の近似で:

  • 状態 \(|I\rangle\) のエネルギーは \(\mathcal{E}^2\) とともに増加する
  • 状態 \(|II\rangle\) のエネルギーは \(\mathcal{E}^2\) とともに減少する

高校物理で「物体はポテンシャルエネルギーが下がる方向に力を受ける」と習ったわよね。つまり力は \(F = -dU/dx\)——エネルギーが位置とともに増える方向には、それを押し戻す力が働く。不均一電場では場の強さ \(\mathcal{E}\) が場所によって違うから、分子のエネルギーも場所によって変わる。状態 \(|I\rangle\) の分子はエネルギーが \(\mathcal{E}^2\) とともに増えるから、電場が強い場所ほどエネルギーが高い——したがって電場の弱い領域へ向かう力を受ける。逆に状態 \(|II\rangle\) の分子はエネルギーが \(\mathcal{E}^2\) とともに減るから、電場が強い場所ほどエネルギーが低い——したがって電場の強い領域へ向かう力を受ける。こうしてビームが 2 つに分かれるの。

🔵 カイ: あ、これって 第 5 章 の Stern-Gerlach 実験に似てませんか? あっちは不均一磁場でスピンを分離してましたよね。

🟡 リナ: いい関連づけね。まさに同じ発想よ。Stern-Gerlach では不均一磁場とスピンの磁気モーメントを使ったけれど、今回は不均一電場電気双極子モーメントを使っている——物理的な仕組みは同じで、「エネルギーが場の強さに依存する → 不均一な場の中で力を受ける → 状態ごとに分離される」という論理ね。分離した後、状態 \(|I\rangle\)(高エネルギー)の分子だけを空洞共振器 (cavity resonator) に送り込む。

時間に依存する電場と遷移

🟡 リナ: 空洞共振器の内部には、振動数 \(\omega\) で振動する電場 \(\mathcal{E}(t) = \mathcal{E}_0 \cos\omega t\) が存在する。このとき Hamiltonian は時間に依存するから、これまでの「固有値を求めて終わり」というアプローチでは解けない。

🔵 カイ: 時間に依存する Hamiltonian……それは難しそうですね。

🟡 リナ: 一般には難しいけれど、電場が弱い(\(\mu\mathcal{E}_0 \ll A\))場合には近似的に解ける。コツは、「電場がないときの速い振動」と「電場による遅い変化」を分離すること。

🔵 カイ: 分離するって、具体的にはどうするんですか?

🟡 リナ: 電場がないとき、固有状態の振幅は \(C_I(t) = (\text{定数}) \times e^{-iE_I t/\hbar}\) のように高速で位相回転するだけだったわよね。この「分かっている速い回転」をあらかじめ取り除いて、残りの「電場のせいで新たに生じる変化」だけを追おうという発想よ。具体的には:

\[C_I(t) = \gamma_I(t)\,e^{-iE_I t/\hbar}, \quad C_{II}(t) = \gamma_{II}(t)\,e^{-iE_{II} t/\hbar} \tag{6.29}\]

と書くの。電場がなければ \(\gamma_I\), \(\gamma_{II}\) は定数で変化しない。電場があると、\(\gamma_I\), \(\gamma_{II}\) がゆっくり変化する。こうすると、\(\gamma\) の運動方程式には「速い振動」の部分が消えて、電場の効果だけが残る——だから見通しが良くなるのよ。

⚪ メイ: なるほど、「既知の回転を差し引いて残りだけ見る」——バックグラウンドを除去する感覚ね。

🟡 リナ: 運動方程式を \(\gamma_I\), \(\gamma_{II}\) について書き直す道筋を示すわね。少し長いけれど、一歩ずつ追ってみて。

まず式 (6.29) の \(C_I(t) = \gamma_I(t)\,e^{-iE_I t/\hbar}\) を時間微分すると、積の微分法則から:

\[\frac{dC_I}{dt} = \frac{d\gamma_I}{dt}\,e^{-iE_I t/\hbar} + \gamma_I \cdot \left(-\frac{iE_I}{\hbar}\right)e^{-iE_I t/\hbar}\]

これを式 (6.2) の左辺 \(i\hbar\,dC_I/dt\) に入れると:

\[i\hbar\frac{d\gamma_I}{dt}\,e^{-iE_I t/\hbar} + E_I\,\gamma_I\,e^{-iE_I t/\hbar}\]

一方、右辺は電場中の Hamiltonian \(H = H_0 + V(t)\) を使って書かれている。ここで \(H_0\) は電場なしの Hamiltonian(固有値 \(E_I\), \(E_{II}\) を持つ)、\(V(t)\) は電場による摂動。エネルギー基底 \(\{|I\rangle, |II\rangle\}\) で書くと、\(H_0\) の寄与は対角的で \(E_I\,\gamma_I\,e^{-iE_I t/\hbar}\) を生む(これは定常的な回転に対応する部分)。左辺にも同じ項があるから、両辺からこの項が相殺して消え、残るのは \(V(t)\) による非対角的な項だけ。

🔵 カイ: ちょっと待ってください。「\(V(t)\) が非対角的」って、位置基底 \(\{|1\rangle, |2\rangle\}\) では \(V\) は対角的でしたよね? エネルギー基底に変えると非対角になるんですか?

🟡 リナ: いい質問。まさにそこがポイントよ。位置基底では \(\langle 1|V|1\rangle = +\mu\mathcal{E}_0\cos\omega t\)\(\langle 2|V|2\rangle = -\mu\mathcal{E}_0\cos\omega t\) で、\(\langle 1|V|2\rangle = \langle 2|V|1\rangle = 0\)——つまり対角的。でもエネルギー基底 \(\{|I\rangle, |II\rangle\}\) での非対角成分 \(\langle I|V|II\rangle\) を計算してみると、\(|I\rangle = \frac{1}{\sqrt{2}}(|1\rangle - |2\rangle)\)\(|II\rangle = \frac{1}{\sqrt{2}}(|1\rangle + |2\rangle)\) を代入して:

\[\langle I|V|II\rangle = \frac{1}{2}(\langle 1| - \langle 2|)\,V\,(|1\rangle + |2\rangle) = \frac{1}{2}(\langle 1|V|1\rangle - \langle 2|V|2\rangle) = \frac{1}{2}(\mu\mathcal{E}_0\cos\omega t + \mu\mathcal{E}_0\cos\omega t) = \mu\mathcal{E}_0\cos\omega t\]

⚪ メイ: なるほど。位置基底で対角的だった摂動が、エネルギー基底では非対角成分を生む——\(|I\rangle\)\(|II\rangle\) を結びつける項になるのね。基底の選び方で行列の「対角・非対角」が入れ替わるのが面白いわ。

🟡 リナ: その通り。基底を変えるというのは、座標軸を回転させるようなもの——行列の見た目は変わるけれど、物理的な内容は同じなの。詳しい全体の導出は練習問題で確認してね。

さて整理すると、右辺に現れる \(\gamma_{II}\) には元々 \(C_{II} = \gamma_{II}\,e^{-iE_{II} t/\hbar}\) の形で \(e^{-iE_{II} t/\hbar}\) がついていたのが、左辺から出てくる \(e^{+iE_I t/\hbar}\) と掛け合わさって \(e^{-i(E_{II} - E_I)t/\hbar} = e^{i\omega_0 t}\) という因子になるの(\(\omega_0 = (E_I - E_{II})/\hbar = 2A/\hbar\))。さらに \(\cos\omega t = \frac{1}{2}(e^{i\omega t} + e^{-i\omega t})\) と書き直すと、\(\gamma_{II}\) に掛かる因子として \(e^{i(\omega_0 + \omega)t}\)\(e^{i(\omega_0 - \omega)t}\) の 2 種類が現れる。つまり:

\[i\hbar\frac{d\gamma_I}{dt} = \frac{\mu\mathcal{E}_0}{2}\left(e^{i(\omega_0 + \omega)t} + e^{i(\omega_0 - \omega)t}\right)\gamma_{II}\]

🔵 カイ: 2 種類の振動因子が出てくるんですね。\(\omega_0 + \omega\)\(\omega_0 - \omega\)……。

🟡 リナ: 前者(\(\omega_0 + \omega\) で振動する項)は \(\omega_0 + \omega\) という非常に高い振動数で正負が激しく入れ替わる。一方、\(\gamma\) はどのくらいの速さで変化するかしら? 式の右辺全体が \(\gamma\) を変化させる「駆動力」だけど、その大きさは係数 \(\mu\mathcal{E}_0/(2\hbar)\) で決まる。高校で習った \(dy/dt = ky\) の解 \(y = y_0 e^{kt}\) を思い出して——\(y\) が大きく変わるのに要する時間は \(1/k\) 程度よね。今の連立方程式は \(d\gamma_I/dt \sim (\mu\mathcal{E}_0/\hbar)\,\gamma_{II}\) という形をしているから、右辺の係数 \(\mu\mathcal{E}_0/\hbar\) が「変化の速さ」を決めている。厳密には連立方程式だから単純な指数関数ではないけれど、変化の時間スケールのオーダーは係数の逆数——つまり \(\hbar/(\mu\mathcal{E}_0)\) 程度——と見積もれるの。

🔵 カイ: つまり、\(\gamma\) はゆっくり変化するということですか? でも、なぜ「速く振動する項」が消えるんですか? 速く振動していても、ゼロにはならないんじゃ……?

🟡 リナ: いい疑問ね。こう考えてみて。\(\gamma\) がほとんど変わらない短い時間の間に、高速振動する項 \(e^{i(\omega_0+\omega)t}\) は何十回も正と負を行き来する。\(\gamma\) を変化させる「力」が正になったり負になったりを高速で繰り返すから、正の方向に押された分と負の方向に押された分がほぼ完全に相殺するの。ブランコを超高速でデタラメに押したり引いたりしても、ブランコはほとんど動かないでしょう? それと同じ。一方、\(e^{i(\omega_0-\omega)t}\) の項は \(\omega \approx \omega_0\) のとき振動がほとんどなく、ずっと同じ方向に「押し続ける」から効果が蓄積するの。

⚪ メイ: ブランコの比喩はわかりやすいわ。高速で正負が入れ替わる力は実質的にゼロ、ゆっくりな力だけが効く——ということね。

🟡 リナ: そう。\(\mu\mathcal{E}_0 \ll A\) という条件を思い出して。分母が小さいほど分数は大きくなるから、\(\mu\mathcal{E}_0 \ll A\) ならば \(\hbar/(\mu\mathcal{E}_0) \gg \hbar/A\)——つまり \(\gamma\) の変化の時間スケール \(\hbar/(\mu\mathcal{E}_0)\) は、高速振動の時間スケール \(\hbar/A\)\(\omega_0 + \omega\) の逆数のオーダー)よりずっと長い。具体的な数字で感覚をつかむと、アンモニアの場合 \(\omega_0 = 2A/\hbar \sim 2\pi \times 24{,}000\) MHz だから、\(\omega_0 + \omega \sim 2\omega_0\) として高速振動の 1 周期は \(10^{-11}\) 秒程度。一方、弱い電場で \(\mu\mathcal{E}_0\)\(A\) の 100 分の 1 なら、\(\gamma\) が大きく変わるのに \(10^{-9}\) 秒程度かかる——100 倍も遅い。すると高速振動する項は、\(\gamma\) がほとんど変わらないうちに何度も正負を繰り返して打ち消し合い、実質的にゼロになる——これを回転波近似 (rotating wave approximation) と呼ぶわ。名前の由来は、\(e^{i\omega t}\) が複素平面上で「回転する波」を表すことから来ているの。高速で回転する成分を落として、ゆっくり回転する成分だけ残す——だから「回転波近似」ね。後者だけ残すと、結果として \(\gamma_I\) の方程式は概略こうなる:

\[i\hbar\frac{d\gamma_I}{dt} \approx \frac{\mu\mathcal{E}_0}{2}\,e^{i(\omega_0 - \omega)t}\,\gamma_{II} \tag{6.30a}\]
\[i\hbar\frac{d\gamma_{II}}{dt} \approx \frac{\mu\mathcal{E}_0}{2}\,e^{-i(\omega_0 - \omega)t}\,\gamma_{I} \tag{6.30b}\]

(回転波近似のもとでの概略式。完全な導出は 問題 M-2. Rabi (ラビ) 振動の導出 で確認してみてね。)式 (6.30b) の指数の符号が (6.30a) と逆になっている理由を補足しておくわね。\(\gamma_{II}\) の方程式では \(e^{-iE_{II} t/\hbar}\) を取り除く際に \(e^{+iE_{II} t/\hbar}\) が掛かり、\(\gamma_I\) についていた \(e^{-iE_I t/\hbar}\) と合わさって \(e^{-i(E_I - E_{II})t/\hbar} = e^{-i\omega_0 t}\) が現れるの——つまり \(\gamma_I\) の式とちょうど符号が反転する。2 つの式が対になっていて、\(\gamma_I\)\(\gamma_{II}\) が互いに結合していることが分かるわね。

🔵 カイ: 式 (6.30) の形、最初に出てきた式 (6.2) と似ていますね。\(\gamma_I\)\(\gamma_{II}\) が互いに影響し合っている。

🟡 リナ: 核心はこの因子 \(e^{\pm i(\omega_0 - \omega)t}\) にある。ここで \(\omega_0 = (E_I - E_{II})/\hbar = 2A/\hbar\) は、式 (6.22) で求めた Rabi 振動の角振動数と同じ量よ。共鳴条件 \(\omega \approx \omega_0\) のとき、\(e^{\pm i(\omega_0 - \omega)t} \approx 1\) に留まって効果が蓄積し、遷移が最も効率的に起きるの。

🔵 カイ: 共鳴……? なぜ振動数が合うと遷移が起きやすいんですか?

🟡 リナ: ブランコを想像して。揺れの周期に合わせて押すと、毎回「後押し」が蓄積されてどんどん大きく揺れるでしょう? でもタイミングがずれると、あるときは後押し、あるときは邪魔をして、効果が打ち消し合う。

🔵 カイ: 数学的にはどうしてそうなるんですか?

🟡 リナ: さっき導いた式 (6.30) を見て。右辺の因子 \(e^{i(\omega_0 - \omega)t}\) が鍵よ。ブランコの比喩に戻ると、この因子は「押すタイミングと揺れのタイミングのずれ」を表しているの。\(\omega = \omega_0\) なら \(e^{i \cdot 0 \cdot t} = 1\) で、毎回同じタイミングで押している——だから効果が一方向に蓄積される。でも \(\omega \neq \omega_0\) だと \(e^{i(\omega_0 - \omega)t}\) が複素平面上でぐるぐる回転して、ある時間は正の寄与(後押し)、別の時間は負の寄与(邪魔)を与え、長時間では打ち消し合ってしまう。だから外部電場の振動数が \(\omega_0 = 2A/\hbar\) にぴったり合うときだけ、遷移確率が効率的に蓄積されるの。共鳴条件が満たされると、分子は \(|I\rangle\) から \(|II\rangle\) に遷移し、エネルギー差 \(E_I - E_{II} = 2A\)マイクロ波の光子として放出する。

🔵 カイ: エネルギーの差がそのまま光子のエネルギーになるんですね。\(E = h\nu\) の関係で。

🟡 リナ: これが Einstein (アインシュタイン) が 1917 年に予言した誘導放出 (stimulated emission) よ。外部電場(すでに空洞内にあるマイクロ波)が分子に「光子を出せ」と促す。出てきた光子は外部電場と同じ振動数・同じ位相を持つから、マイクロ波が増幅される。

⚪ メイ: 同じ振動数・同じ位相で揃うから、コヒーレント(位相が揃った)なマイクロ波源になるのね。

🟡 リナ: その通り。メーザーの動作をまとめると:

  1. 分子の準備: 不均一電場で高エネルギー状態 \(|I\rangle\) の分子を選別
  2. 空洞共振器に導入: 共鳴振動数 \(\omega_0 = 2A/\hbar\) のマイクロ波が存在する空洞に分子を送る
  3. 誘導放出: 分子が \(|I\rangle \to |II\rangle\) に遷移し、マイクロ波光子を放出
  4. 増幅: 放出された光子が空洞内のマイクロ波を強める

🟡 リナ: 図 6.6「アンモニアメーザーの動作原理」 にこの 4 ステップを模式的に描いたわ。

アンモニアメーザーの動作原理

図 6.6: アンモニアメーザーの動作原理。① NH₃ 分子源から混合ビームを放出 → ② 不均一電場で高エネルギー状態 \(|I\rangle\) を選別 → ③ 共鳴振動数 \(\omega_0 = 2A/\hbar\) の空洞共振器に導入して誘導放出を引き起こす → ④ 増幅されたコヒーレントなマイクロ波(約 24 GHz)が出力される。

🔵 カイ: すごい! 量子力学の 2 状態系の理論が、そのまま実際の装置の動作原理になっているんですね。……でも一つ疑問があります。なぜ高エネルギー状態 \(|I\rangle\) の分子だけを選ばないといけないんですか? 低エネルギーの \(|II\rangle\) じゃダメなんですか?

🟡 リナ: いい質問ね。\(|II\rangle\) の分子は、光子を吸収して \(|I\rangle\) に上がってしまう——つまりマイクロ波を弱めてしまうの。増幅するには、光子を放出する側の分子が多くなければならない。だから高エネルギー状態を選別して送り込む必要があるのよ。これを反転分布 (population inversion) と呼ぶわ。

🔵 カイ: 放出する分子が多くないとダメなのは分かりました。でも、普通に分子を集めたら、高エネルギーの分子と低エネルギーの分子は半々くらいにならないんですか? わざわざ分離しなくても、放出と吸収が同じくらいで差し引きゼロになるだけでは?

🟡 リナ: いい着眼点ね。実は、普通の状態(熱平衡)では低エネルギー状態 \(|II\rangle\) にいる分子のほうが多いの。温度が有限のとき、分子はエネルギーの低い状態に多く集まる——これは統計力学の基本的な結果で、ボルツマン分布と呼ばれるわ。だから何もしなければ、光子を吸収する分子(\(|II\rangle \to |I\rangle\))のほうが放出する分子(\(|I\rangle \to |II\rangle\))より多くて、マイクロ波は弱まってしまう。増幅するには、高エネルギー状態を人為的に多数派にする——反転分布を作る——ことが必要なの。これがメーザーの鍵よ。

🔵 カイ: なるほど……自然のままだと低エネルギー側が多数派だから、わざわざ不均一電場で高エネルギーの分子を選び出す必要があるんですね。

🟡 リナ: その通り。そしてこの原理を光の領域に拡張したのが LASER (レーザー)。第 21 章で Einstein の A・B 係数と誘導放出を定量的に扱うとき、この話に戻ってくるわ。

✅ 理解度チェック: アンモニアメーザーで共鳴条件が重要な理由を説明してみましょう。

答え

外部電場の振動数 \(\omega\) が 2 つのエネルギー準位の差に対応する振動数 \(\omega_0 = 2A/\hbar\) に一致するとき、\(|I\rangle \to |II\rangle\) の遷移が最も効率的に起きる。振動数がずれていると遷移確率が急激に下がり、マイクロ波の増幅が起きない。

📝 練習問題:


6.10 2 状態系の一般公式 — まとめ

🟡 リナ: この章で得た結果を、一般的な 2 状態 Hamiltonian

\[H = \begin{pmatrix} H_{11} & H_{12} \\ H_{21} & H_{22} \end{pmatrix}\]

に対してまとめておきましょう。\(H\) が時間に依存しない場合、エネルギー固有値を \(E_+\), \(E_-\) と書くわ。

🔵 カイ: あれ、さっきまで \(E_I\), \(E_{II}\) って書いてたのに、ここでは \(E_+\), \(E_-\) になってますね。なぜ記号を変えるんですか?

🟡 リナ: いい指摘。アンモニア分子に限らない一般的な公式としてまとめるから、記号を変えたの。\(E_I\), \(E_{II}\) はアンモニア分子専用のラベルで、\(E_+\), \(E_-\) は「どんな 2 状態系でも使える」一般的な記号よ。対応は単純で、\(+\) が高い方、\(-\) が低い方:

\[E_+ = E_I \quad (\text{高い方}), \quad E_- = E_{II} \quad (\text{低い方})\]

アンモニア分子の場合は \(E_+ = E_0 + A\)\(E_- = E_0 - A\) ね。以下、一般の 2 状態系では \(E_\pm\) を使うわ。

エネルギー固有値(式 (6.25) の再掲、\(E_\pm\) の記号に統一)

\[E_{\pm} = \frac{H_{11} + H_{22}}{2} \pm \sqrt{\left(\frac{H_{11} - H_{22}}{2}\right)^2 + |H_{12}|^2} \tag{6.31}\]

定常状態の時間発展:

\[|\psi_{\pm}(t)\rangle = |E_{\pm}\rangle\,e^{-iE_{\pm} t/\hbar} \tag{6.32}\]

一般の状態の時間発展:

\[|\psi(t)\rangle = c_+\,e^{-iE_+ t/\hbar}|E_+\rangle + c_-\,e^{-iE_- t/\hbar}|E_-\rangle \tag{6.33}\]

ここで \(c_{\pm} = \langle E_{\pm}|\psi(0)\rangle\) は初期条件で決まる。

⚪ メイ: このレシピは、アンモニア分子に限らず、あらゆる 2 状態系に適用できる一般的な枠組みなのね。

🟡 リナ: そう。2 状態系は量子力学で最も基本的な系だけれど、驚くほど多くの物理現象がこの枠組みで理解できる。例えばスピン 1/2 粒子の磁場中の振る舞いもそう。第 17 章ではスピン 1/2 粒子を Pauli (パウリ) 行列で記述するけれど、数学的にはここで見た 2 状態系の Hamiltonian そのものよ。

🔵 カイ: 今日の内容を一言でまとめると……「Hamiltonian 行列を書き下して固有値問題を解けば、エネルギー準位も時間発展も全部分かる」ということですね。でも、Hamiltonian を正しく書き下すこと自体が一番難しそうな気もします。アンモニアは対称性で \(H_{11} = H_{22}\) が決まったし、トンネル効果で \(H_{12} = -A\) と置けた。でも、もし対称性がなかったり、状態が 3 つ以上あったりしたら、何を手がかりに Hamiltonian を決めるんですか?

🟡 リナ: いい着眼点ね。実際、Hamiltonian を構成すること自体が物理学の中心的な問題なの。対称性、実験データ、古典力学との対応——さまざまな手がかりを使って Hamiltonian を決めていく。その具体例はこれからたくさん見ていくわ。

✅ 理解度チェック: 2 状態系で \(H_{11} = H_{22}\)(対称な場合)と \(H_{11} \neq H_{22}\)(非対称な場合)で、エネルギー分裂 \(E_+ - E_-\) はどう変わるでしょうか?

答え

対称な場合:\(E_+ - E_- = 2|H_{12}|\)。非対称な場合:\(E_+ - E_- = 2\sqrt{[(H_{11} - H_{22})/2]^2 + |H_{12}|^2}\)。非対称性 \(H_{11} \neq H_{22}\) はエネルギー分裂を大きくする方向に働く。対称な場合が最小の分裂を与える。

📝 練習問題:


次章予告

🟡 リナ: この章では、2 状態系という最も単純な舞台で「Hamiltonian → 固有値問題 → 時間発展」の流れを体験した。でも、自然界には 2 つどころか無限個の状態を持つ系がたくさんある。

🔵 カイ: 無限個!? 行列が無限に大きくなるってことですか?

🟡 リナ: そう。例えば、1 次元の直線上を動く粒子は、原理的にはどの位置にもいられるから、基底状態の数は連続無限個。このとき、振幅 \(C_i\) はもはや「番号 \(i\) の関数」ではなく、「位置 \(x\) の関数」——つまり波動関数 \(\psi(x, t)\) になる。

⚪ メイ: 行列が無限に大きくなったら、もう普通の行列計算では扱えないわよね……?

🟡 リナ: そう。実は、Hamiltonian「行列」は連続の場合には微分演算子になるの。次の 第 7 章では、この章の行列形式を連続的な場合に拡張して、Schrödinger 方程式を導入する。2 状態系で培った直感——「Hamiltonian がエネルギーを決め、固有状態が定常状態で、一般の状態は固有状態の重ね合わせ」——がそのまま使えることを確認するわ。

🔵 カイ: 楽しみです!

参考文献

  • R. P. Feynman (ファインマン), R. B. Leighton, M. Sands 著, 砂川重信 訳,『ファインマン物理学 V — 量子力学』(岩波書店). 第 8 章「ハミルトニアン行列」、第 9 章「アンモニアメーザー」。本章の 2 状態系の定式化と Hamiltonian 行列の導入は Feynman の教育的アプローチに沿っている。
  • J. J. Sakurai (サクライ), J. Napolitano 著,『Modern Quantum Mechanics』第 3 版 (Cambridge University Press). 第 2 章「Quantum Dynamics」で時間発展演算子と Schrödinger 方程式を公理的に導入しており、本章の天下り的アプローチの数学的基礎を与えている。
  • 清水明 著,『新版 量子論の基礎 — その本質のやさしい理解のために』(サイエンス社). 2 状態系を用いた量子力学の基本構造の解説が丁寧。
  • 広江克彦 著,『趣味で量子力学』. 2 状態系と Rabi 振動の平易な解説。